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さらば 急行「かすが」 & 寝台特急「出雲」 その4 [歩いて撮ろう(鉄道編)]

(2006年3月12日 日曜日)

寝台車は、なんだかんだ言っても、やはりよく眠れます。
気が付くと、もう城崎温泉駅を過ぎたあたり(6時32分発)でした。
次の香住駅では、特急「はまかぜ2号」(鳥取~大阪)との行き違い風景を
撮影するため、大勢降りて行かれました。ホームにも朝早くから大勢の鉄道ファン。
今やここでしかお目にかかれない、キハ181特急型気動車と、消えゆく「出雲」の
貴重なツーショットを、次々カメラに収めておられました。私も車窓からパチリ

7時過ぎ、鎧~餘部間にかかる餘部橋梁を、「出雲」が渡りました。
私も何度か行ったことがありますが、鉄道ファンには超有名なスポット。
車窓からは確認できませんでしたが、今日は「出雲」目当ての撮り鉄さんが
大勢押し寄せていたことでしょう(聞いた話では、何ヶ月も前から、最終日の撮影に
備えて場所取りの三脚が置いてあったそうです)。餘部駅にはあとで引き返すときに
立ち寄ることにしています。

7時20分頃、目的地の浜坂駅に到着しました。
終点まで乗り通したい気持ちは山々なのですが、明日はもう仕事が・・・。
後ろ髪引かれる思いでホームへと降り立ちました。すると浜坂駅で降りた人が
けっこういて、しかもみなさん降りたと同時にホームの端へダッシュ!
つられてカメラを持ったまま走ってしまいました。ハアハア

みなさんのお目当てはこのディーゼル機関車、DD51
今日は1179号機(後藤総合車両所所属)が、途中の京都でEF65からバトンを
受け取り、大勢の乗客を乗せた「出雲」を引っ張ってきてくれました。
まだ出雲市までは3時間以上ありますが、最後までがんばって。

ブルーの車体に、燦然と輝く特急出雲 出雲市の方向幕。
あと1週間で、この姿も永遠に見られなくなります。

最初は客車らしくゆっくり、そして加速をつけて「出雲」は一気にホームをあとに
してゆきます。きのうは拝めなかった「出雲」のテールマークに、最後にごあいさつ。
小雨に煙る浜坂駅のホームで、「出雲」の後ろ姿が見えなくなるまで見送りました。

3月17日、寝台特急「出雲」は東京駅のホームを埋め尽くした
大勢の鉄道ファンに見送られ、最後の旅路へと出発したそうです。
そして同じ頃、遠く離れた出雲市駅や鳥取駅でも、地元の大勢の方に見送られ、
東京へと旅立ちました。「出雲」の客車はJR東日本所有のため、東京行きの車両は
二度と帰らない旅路についたわけです。この列車を愛し、 「東京へ乗り換えなしで行ける」
誇りを持っておられた山陰地方の方々。私の父方の田舎が福知山なので、
山陰の血を引く私としても、この廃止は衝撃でした
「出雲」は東京への直通列車、という以上の意味を持っていたと思います。
常に発展から取り残され、それどころかどんどん不便になり、それに連動して
人口も減り続ける。かつてそうしたところへも鉄路を延ばし、曲がりなりにも「住民の足」として
機能していた国鉄も今は亡く、今のJRに、その役割を望む術はありません。

車両更新もままならず、スピードアップもなされないまま、
朽ち果てるのをただ待っているような、寝台列車たち
その悲しげな姿が、今の日本の鉄道を象徴しているような気がします。
鉄道に関心を持つ人がこれだけ多い昨今、やる気さえあれば夜行列車の
充実など実現できると思うのですが。もう「さよなら運転」はごめんです。
長文失礼しました。この続きは近いうちにまたアップします(おわり)。

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