大きな満月の夜に~夜行急行「能登」最後の旅路 [歩いて撮ろう(鉄道編)]
さる1月30日、私は富山駅から、1本の列車に乗り込みました。
その列車は、私が生まれる前から、北陸と東京を結んできました。
その名は、急行「能登」。
1975年の愛称誕生以来、車両や経由路線を変更しながらも、
途切れることなく走り続けてきた「能登」。
しかしその歴史も、今年3月12日のダイヤ改正を持って、終わりを告げます。
日本にたった3本だけ走る、急行列車の一つ、「能登」。
私はこれまで利用する機会に恵まれませんでした。
城端をたびたび訪れるようになってからも、関西在住ゆえ、
わざわざ東京まわりで乗車するわけにもいかず。
また同じルートを走る寝台特急「北陸」の寝台車の方が
ラクなので、東京→富山→京都のルートを選んだときも、
「能登」を利用することはありませんでした。
廃止の報を聞き、「乗っておかねば」という衝動にかられました。
ちょうど1週間後の土日が空いていたので、さっそくきっぷを手配。
富山から上野まで、7時間4分の旅路についたのでした。
京都から、東海道本線→高山本線と乗り継ぎ、富山に着いたのが20時半。
出発前に富山駅近くの立ち飲み屋でほろ酔い気分に。
でもこれは景気づけの一杯。ちゃんと車内で飲むお酒も準備していました。
富山駅では、今でも多くの夜行列車が行き交います
関西にくらべると、やっぱり寒い富山の夜。
しかし、さいわいこの週はあたたかく、雪に降られることもありませんでした。
年末年始の大雪のとき、「能登」は運休続き。ちゃんと運行されるか
気をもんでいましたが、何とか乗車することができました。
23時ちょうど、ボンネット車特有の3つのヘッドライトをまたたかせ、「能登」入線
「能登」に使われている車両は、489系電車。
元祖L特急の485系に、信越本線・横川~軽井沢間の碓氷峠を越えるため、
補機のEF63との協調運転機能を取り付けたタイプです。
その横軽越えも、EF63も今は亡く、489系だけがその機能を使うこともなく、
今なお走り続けているのです。
めざすは東京の北の玄関口、上野駅
指定された3号車に向かうと、3~4割の乗車率といったところで、
少し拍子抜けしました。廃止間際のフィーバーで急に乗客が増える列車が
多いのですが、「能登」はそんな喧噪とは今のところ無縁のようです。
一方、土曜日の夜でこの入りですから、平日の乗車率の低さがうかがえます。
発車後すぐ検札を終え、5号車に設置してあるラウンジへ。
一昔前は寝台特急などに多く連結されていましたが、今では見ることも少なくなりました。
車内は泊駅を過ぎた辺りで減光され、このラウンジだけが
煌々と明かりの灯っている状態。寝つけない人や、私と同じような
お別れ乗車の人たちが、入れ替わり立ち替わりやってきます。
ここで、高山駅前で買った地酒セット登場。
夜行列車に合うのはやっぱり日本酒でしょう(と最近年とって思うようになりました)。
お店でもらっておいたカップにつぎ、流れゆく車窓を肴にゆったり飲みました。
日付が変わり、1月31日0:24、直江津駅に到着。
すでに車内放送は終了し、ドアが開く音だけが車内に響きます。
いつ見ても味のあるボンネット型の先頭車輌
酔い覚ましと撮影のため、ホームに出てみました。
雪は降っていませんでしたが、しんと冷えた空気と、
「能登」のモーター音以外聞こえない駅構内。
真っ暗な宙と、古色蒼然たるボンネット車のコントラストに、
しばし見とれていました。
そのあとは指定席に荷物だけ置き、空いている自由席車へ。
シートを回転させ、足を伸ばして寝そべると、簡易寝台の完成。
489系のシートは古いですが、クッションがしっかりしていて、
思いのほか快適でした。
長岡駅では青森行き「あけぼの」とご対面(どちらも運転停車)
減光された車内から見る車窓は、美しく幻想的でした。
疲れていましたが、ここから徹夜で窓の外にカメラを向け続けました。
以下はすべて上越線内の車窓を撮ったものです。
しばしお楽しみください。
(越後川口付近)
雪深い山間の小駅。
ホームを照らす蛍光灯の明かりが、窓ガラスをかすめる。
(越後湯沢駅)
降り立つ人も、乗り込む人もいないが、
それでも駅は明かりを灯して待っていてくれた。
最近は「乗る人がいない」だの「人件費のムダ」だの、みな夜行列車に冷たい。
だが何と言われようと、代え難い旅がそこにはある。
車窓を流れる踏切警報機の赤いランプ、
どこかもの哀しい「カンカン」という踏切の音。
刻まれ続けるレールのジョイント音。
(水上駅)
普段くらしていると、目を向けることのない色、
耳をかたむけることのない音が、夜行列車の旅にはあふれている。
(水上駅発車)
非日常と言うよりも、日常を再確認する、
そんな言葉が、夜行列車の旅にはふさわしいと思う。
新幹線が忙しく行き交い、夜行列車で一晩かかった道のりが、
たった2.3時間で結ばれる現代。
「あっという間」の旅には、その再確認の時間すら許されない。
(沼田駅付近、この日は月が一年で一番地球に近い日と、満月が重なりました)
窓から見える大きな満月が、
そんな人間のせせこましさを笑っているように見えた。
「もっとゆっくり目的地をめざそうよ」
4:05、雪の上越線を走破し、「能登」は定刻通り高崎駅に到着。
ここで峠の疲れを癒すように、30分あまりの長時間停車となります。
バルブ撮影をするため、三脚をかついでホームへ。
先頭車輌付近には、停車を待ちかねたファンがたくさん集まっていました。
闇につつまれた構内を貨物列車が走り抜ける
(高崎駅8番ホーム)
最後の座席急行、「能登」。
横軽の仲間たちを見送ったあとも、
風雪に耐え、昔と変わらぬ姿で走り続けてきた489系。
(高崎駅)
その長かった旅路も、時代の移り変わりとともに、
まもなく終わりを迎えようとしている。
(高崎駅)
いったいどれだけの人たちの思いを運んできたのか、
今となっては思い出せない。
新しい出発への希望や夢。
夢破れて故郷をめざす後悔や悲しみ。
大切な人のもとへと急ぐ、焦りや不安。
年月を重ねるだけ、そんな人たちの思いを数え切れないほど見てきた。
正直このカラダには荷が重い、そう感じることも最近増えてきた。
(上野駅到着)
でもちょっぴりうれしいこともある。
若い頃の自分を追いかけた鉄道少年たちが、
今夫になり、父になり、思いをこめてカメラを向ける。
(上野駅)
なれないカメラの砲列にとまどいながら、
こうして多くの人たちに見送られるのも、そんなに悪い気はしない。
(石川啄木歌碑)
でも自分がいなくなったあと、故郷をめざす人たちは
誰が運ぶんだろう。そのことが少し心配。
新幹線開業まであと4年。
(上野駅)
自分がいなくなったあとでも、
時々は思い出してほしい。
いろんな人たちの、いろんな思いをのせて走った列車があったことを。
急行「能登」より。
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夜行急行「能登」の定期運行は終了しますが、当面金・土曜日の
臨時列車というかたちで、列車名は残ることになりました。
しかし489系は運用を外れることが決定。
ボンネット車はついに日本の鉄道から姿を消すことになりました。
僚友の寝台特急「北陸」の廃止も決まり、
北陸地方へ朝早く着こうと思うと、これから基本的に高速バスでの移動を
強いられることになりそうです。
わずか7時間あまりの短い夜行列車の旅でしたが、
「夜汽車」の旅の醍醐味を味わえた、貴重な体験となりました。
同時に、夜行列車の老朽化、分割されたJRのもとでの運行の難しさ、
そして人々の足の「選択肢」が狭められることへの危機感も感じました。
(ファン自作?と思われる号車札)
ともかく、3月12日まで無事故で走り続けてほしいと思います。
がんばれ「能登」、そしてありがとう「能登」。
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