それぞれの人生 それぞれの思い出 それぞれの「銀河」 [歩いて撮ろう(鉄道編)]
3月15日のダイヤ改正が過ぎ、
「なは」「あかつき」そして「銀河」が永遠の旅路へと出発してから、はや3日。
私は仕事をしていて観られませんでしたが、
特に東京~大阪間運行の「銀河」のラストランは、各テレビ局で特集が組まれ、
さまざまな思いで「銀河」の最後を見つめる人たちの姿を伝えたようです。
最終日の東京到着のアナウンスは、車掌さんの粋な計らいがあったそうです
(聞いていて思わず涙を流してしまいました)
私は正直、「銀河」の廃止がここまで話題を呼ぶとは思いませんでした。
今日関西ローカルで放送されていた「ちちんぷいぷい」でも、
「家族で一緒に乗った最初の列車」
「結婚前夜、独身最後の時間をこの列車で過ごした」
など、「銀河」への忘れ得ぬ思いを語る人が、多くおられました。
もうこの電光掲示板を見ることは出来なくなりました
59年間走ってきて、こんなに注目を浴びた経験もなく、
「銀河」もさぞかしとまどったことでしょう。
「富士」や「はやぶさ」のように、華やかなヘッドマークを掲げることもなく、
「北斗星」のように豪華な車内設備もない。
「日本海」や「あけぼの」のように帰省シーズンのたびに混むわけでもない。
普段着のスタイルを貫き通したことが、
これだけ多くの人たちに、愛され続けたゆえんなのかもしれませんね。
「銀河」廃止で、ついにEF65は旅客列車の定期運用から外れることになりました
私も過去に3度、「銀河」を利用したことがあります。
一度目は今から7~8年前でしょうか。東京からの帰りに、B寝台を利用しました。
東海道の行き来には、新幹線や「ムーンライトながら」のお世話になることが多く、
なかなか「銀河」に目が向くことはなかったんですが、
急行列車なので料金が安く、「いつも空いている」という評判を聞き、
利用することにしました。乗車当日、東京駅の9番ホームは、深夜だというのに
ディズニーランドのお土産を山のように抱えた親子連れ、外人さん、
お年寄りなどがあふれていました(この日は休日だったので、「銀河」を多く
利用していたと言われるサラリーマンの方々の姿はなし)。
下段に腰掛けると、向かい側に座ったお年寄りが、
「どうですか」とおつまみをすすめてくださいました。
ちょうど缶ビールを飲んでいたので、ありがたくいただき、そこから会話がはずみました。
たしか大阪の方だったと思いますが、
東京でおこなわれた同窓会に出席し、その帰りだとおっしゃっていました。
出発の時も窓越しに見送りを受けておられました。
遅くまで飲み明かしても、飛び乗れるので「銀河」は助かると。
学生時代からのお話を延々と語ってくださり、少し疲れましたが、
人生の先輩から、貴重なお話を膝を交えて聞ける、
寝台車ならではの醍醐味を味わいました。
あの方は今でもまだ健在でいらっしゃるでしょうか。
「銀河」廃止のニュースを、どのような思いで聞かれたのでしょうか。
私にとって忘れられないのが、
二度目に乗車した、2006年12月2日。
この日は私が13年間応援し続けた浦和レッズが、苦難の道のりの末に、
Jリーグ制覇を果たした日です。超満員の埼玉スタジアムで、
栄光の瞬間を目に焼き付け、都内で祝杯をあげたあと、
神田の銭湯で汗を流し、乗り込んだ「銀河」。
なかなか勝ちきれず、最終節までもつれ込んだ優勝争い。
勝てば文句なく優勝という状況で、「かならず勝って、銀河で大阪に凱旋する」と心に決め、
前日に「サンライズ出雲」で旅立ちました。激闘の末、もぎとった優勝。
まだ少し酔いが残ったカラダをB寝台に横たえ、
苦しかった時代のことを思い出しながら、優勝の余韻に浸りました。
あのとき聞いたレールのジョイント音、
EF65の警笛の音、小刻みに揺れる寝台の感触、
すべてが良い思い出になっています。
人それぞれに違う人生があるように、
人それぞれ違う思い出が、寝台急行「銀河」にはあるんでしょうね。
生まれてはじめて乗る寝台車の、ちょっぴり残るタバコの香りに、ドキドキした夜。
新しい人生の門出に、希望とちょっぴりの不安を胸に抱えた夜。
勉強、仕事、恋・・・何かに破れ、ふるさとへと帰る眠れぬ夜。
家族、会社、いろいろなものを背負い、すっかり重くなった肩を、さすりながら缶ビールを傾けた夜。
大切な人との永遠の別れを、涙に暮れながらかみしめた夜。
何千、何万という人の、さまざまな人生を見つめ続けてきた「銀河」。
もう列車が走ることはありませんが、
「銀河」は多くの人の心の中で、
これからもさまざまな姿で走り続けることでしょう。
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